KOUKI倉迫 3代目店長 倉迫貴一のプロフィール

サイトマップ

PROFILE

「KOUKI倉迫」3代目店長 倉迫貴一のプロフィール

自己紹介

KOUKI倉迫店長・倉迫貴一

KOUKI倉迫店長・倉迫貴一

私は「二人だけの愛着を持てる指輪作りアドバイザー」倉迫貴一と申します。

広島市中区十日市町で、これからご結婚されるカップルさまに、婚約指輪や結婚指輪をオーダーメイドでお作りする『KOUKI倉迫』という小さな宝石店をしています。

当店は昭和21年に私の祖父が創業しまして、私が3代目になります。

子ども時代

父にだっこされる生後数か月の私

父にだっこされる生後数か月の私

私は一つ下の弟と五つ下の妹の3人兄弟の長男として育ちました。

昭和51年に2代目となる私の両親が結婚したのですが、その1ヶ月前に初代である祖父が急逝したうえ、そのショックから祖母も体調を崩して入院してしまいました。

そのため、ほとんど経験のないまま両親二人で営業することになりました。そして翌年には私が生まれました。

はじめての家族旅行

はじめての家族旅行

昭和52年頃の当店

昭和52年頃の当店

そのため、かなり苦労をしたようで、仕事の忙しさから、小さい頃家族で遠くに旅行に行ったりということはほとんどありませんでした。

はじめて、家族で旅行に行ったのは私が小学5年生の時でした。

しかし、店舗の上が自宅だったこともあり、よく店にいては商品をながめたり、お客様にもかわいがっていただきました。

今でも私の子ども時代を知るお客様が大勢いてくださることはありがたいことです。

こういう状況でしたので、小さな頃から不思議な魅力を持つ宝石が好きになりましたし、私が店の後を継ぎたいと考えるのは自然なことだったと思います。

ただ父自身が苦労をしたからか、父は私に後を継げとは決して言いませんでした。

むしろ、子どもの私が後を継ぎたいと言っても、どこかの会社に就職して経験を積んでからでないと継がせないと言われていました。

社会人になる!

会社員時代

会社員時代

2000年に名古屋の大学を卒業後、サラリーマンになりました。

当時は、就職氷河期まっただ中。就職が決まったことを両親はとても喜んでくれましたし、就職活動をする中で、私自身も入社した会社で頑張っていこうと考えるようになっていました。

こうして希望に燃えて初任地に決まった熊本支店に赴きました。

最初の2年間は、自分の未熟さと要領の悪さから、上司やお取引先からお叱りを受けることもたびたびで、お叱りを受けとめながら、ただがむしゃらに仕事に打ち込みました。

そうする中で、3年目を迎える頃から、ようやく、上司やお取引先の方からも一定のご評価をいただけるようになった気がします。

社員数が約2,800名ほどの会社でいわゆる渉外係が約600名ほどだったのですが、九州地区では部門別で何度か入賞したり、1位をとることもできました。

今思い出してもこの時の経験が社会人としての基礎を作ってくれたと思います。

当時の上司や先輩、同僚そしてお取引先の皆様のことを思い出すと感謝の気持ちでいっぱいになります。

今の仕事に繋がる転機

2003年には、初任地の熊本支店から山口支店に転勤。広島に近くなったこともあり、帰省する機会は自然に多くなりました。

すると、店舗に顔を出すたびに増えていく、新婚のカップルさまからのたくさんのお礼状や結婚報告葉書が、本当にまぶしく見えるのです。

また私が生まれる前からお世話になっているお客さまのお話に聞き入っている自分がいました。

少しずつ実家の店のことが気になるようになってきたのです。

「祖父母が作って、両親が守ってきた店をいずれやめてしまうことになっていいのだろうか?」

「自分が継がなくていいのだろうか?」

次第に、そんな想いを抱くようになっていきました。

とはいっても、勤めていた会社にも愛着がありましたので、その後しばらくは、ずいぶん迷いました。

「このまま会社に勤め続けるか、広島に帰って店を継ぐか」

それから1年以上の月日が経ち、私の中で広島に帰って店を継ぎたいという思いはどんどんと大きくなっていきました。

店を継ぐという決心

そのころ私は交際していた恋人との結婚を考えていました。

しかし店を継ぐとすれば、彼女の同意なしには考えられません。

そしてある時、勇気を出して、打ち明けることにしました。

「会社をやめて広島に帰って店を継ごうかと思う。一緒に店をやって欲しい」

当時彼女は幼稚園教諭で、接客業とは無縁の人。

それなのに、彼女はそれまで5年間勤めていた幼稚園を退職し、「一緒に店をやっていく」と言ってくれました。

その時のことは、一生忘れられません。

大企業の安定した生活から、業界がどんどん縮小している小さな宝石店を継ぐ。

もちろん、不安もありましたが、私の中には、こんな想いがありました。

「カップルさまに、もっと、もっと喜んでもらえる店作りをしていきたい」

「祖父が残してくれた店を続けたい」

「ついてきてくれた彼女を絶対に幸せにしたい」

忘れられない、初めてのお客様

こうして2005年9月末で退職。

翌日からすぐに店での仕事をスタートしました。

しばらくは覚えることもたくさんありましたが、新鮮でとても充実した毎日でした。

そして、3ヶ月ほど経った年末の最終営業日、初めて一人で婚約指輪をご検討のカップルさまの対応をさせていただくことになったのです。

その時には、両親ともにお客様の対応中で、私しか、担当できる人間がいなかったのです。もう、無我夢中で対応させていただきました。

「何としても喜んでいただきたい!」

そのカップルさまは、その場で婚約指輪の製作をご依頼いただいたばかりか、ご友人まで紹介して下さいました。

心の底から嬉しくて、ありがたくて、お帰りになるお二人を見送りながら、私は涙ぐんでいました。

これが今に繋がる、私の原点です。

このことをきっかけに、私は、この仕事がさらに好きになりました。

「この時の気持ちを、絶対に忘れない。もっと、もっと喜んでもらえる店にしていこう」

心の底から強く、強く、思いました。

自分が結婚することで、この仕事の意義と責任を再確認

結婚披露宴にて

結婚披露宴にて

翌年、私たちは結婚しました。

自分たちの結婚指輪を作りました。

お客様と同じ職人に作ってもらい、製作途中の指輪を確認して、完成を待つ。お客様と同じ経験をすることで、お客様と同じ気持ちを味わうことができました。
このような経験を通して、私たちのしているこの仕事の意義と責任を改めて、実感することができました。

そして、以前にも増して、ジュエリーの持つ人と人を繋ぐ力を強く感じるようになりました。

これからの目標

お客様からの結婚報告葉書

お客様からの結婚報告葉書

あれから10年、これまでたくさんのお客様の大切なジュエリーをお作りしたり、リフォームや修理をさせていただきました。

また、大切なご家族、ご友人を紹介していただきました。

たくさんの素敵な出会いに恵まれて本当に幸せです。

私は、お作りする過程も含めて、お二人のジュエリーが大切な思い出や記念になること、そして末永くご愛用いただけることを何より大切にしています。

お客様からは「出来上がるまでの過程がとても良い思い出になった」「一生の宝物ができた」等のお声をいただいています。

ありがたいことにホームページには100組以上のカップルさまのお声を、店舗にも100通を大きく超える結婚報告はがきをご紹介させていただいています。

本当に、大切な宝物ですし、これを見るたび、幸せと感謝が心に広がります。

そして、これからもっと、もっとたくさんのカップルさまのお手伝いをさせていただくとともに、私どもの店を選んでくださった皆様の生涯に渡り、ご夫婦やご家族の愛や絆を深めるジュエリーをご提供できる存在になるのが目標です。

お読みいただき、ありがとうございます

スタッフ集合写真

スタッフ集合写真

もし、私で何かお手伝いできることがありましたら、お気軽にお問い合わせ、ご来店くださいませ。

倉迫に頼んで良かった!と喜んでいただけるよう全力で対応させていただきます。

このたびは、大切な時間を使ってホームページをご覧くださり、本当にありがとうございます。

何か一つでもお役に立てることがありましたら幸いです。

△ ページトップヘ